※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文政8年(1825) | 9月21日 | イギリスで世界最初の蒸気鉄道開業[以下、明治5年まで旧暦] | |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月18日 | ロシア使節プーチャチン長崎来航に際し蒸気車模型を持参 | ||
嘉永7年(1854) | 1月16日 | アメリカ使節ペリー浦賀沖に再度来航、大統領から将軍への贈与品として蒸気車模型持参 | |
安政2年(1855) | 8月 | 佐賀藩でわが国最初の蒸気車模型を製作 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月10日 | 鉄道建設の廟議決定 | ||
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月19日 | 民部・大蔵省に鉄道掛を設置 | ||
10月20日 | (閏10月)工部省設置、鉄道掛は同省所属となる | ||
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月14日 | 工部省に鉄道寮を設置 | ||
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 鉄道略則公布 | ||
5月4日 | 鉄道犯罪罰例公布 | ||
5月7日 | 品川・横浜間仮開業 | ||
6月15日 | イギリス人ジョン・レディ・ブラックに停車場構内における新聞の販売を許可(構内営業の最初) | ||
9月12日 | 新橋・横浜間(29km)の開業式挙行 (以上旧暦) | ||
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月15日 | 新橋・横浜間貨物営業を開始 | ||
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月11日 | 大阪・神戸間の運輸営業開始 | ||
8月 | 大阪・神戸間で上・中等往復乗車券を発売 | ||
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 神戸工場で客車・貨車を製作、走行部品はイギリスから輸入(車両製作の最初) | ||
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月5日 | 大阪・京都(大宮通仮駅)間開通はじめて鍛鉄製平底レールを採用 | ||
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 鉄道寮廃止され、工部省に鉄道局設置 | ||
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月14日 | 新橋鉄道局ではじめて日本人機関方を登用 |