諏訪倉庫(株)『諏訪倉庫七十五年史』(1986.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
8月25日 本店、日本銀行指定倉庫となる 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
11月15日 見習規程制定 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
2月4日 平野村字間下地籍を分店設置候補地として地主と交渉を開始 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
5月17日 繭乾燥熱源として重油試験行う 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
8月8日 佐久鉄道、小諸~中込間開通 諏訪倉庫株式会社年表//社会情勢
9月30日 未払込株金第5回払込金4万円(1株に付10円)の払込を了し、総資本金25万円全額払込済となる 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
10月9日 間下分店地鎮祭執行 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
11月21日 宮坂作之助取締役辞任 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
12月23日 所有物整理規程制定 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
4月1日 増資25万円の内未払込株金第1回払込金6万2,500円(1株に付12円50銭)の払込完了、払込済資本金31万2,500円となる 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
5月6日 繭乾燥熱源の石炭、重油より優秀、重油装置撤去 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
6月10日 間下倉庫繭初入庫、乾燥機運転、営業開始 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
7月5日 信濃鉄道、松本~大町間全通 諏訪倉庫株式会社年表//社会情勢
9月 工場法施行 諏訪倉庫株式会社年表//社会情勢
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
2月5日 糸価崩落、横浜生糸市場休業 諏訪倉庫株式会社年表//社会情勢
4月6日 アメリカ、ドイツに宣戦布告する 諏訪倉庫株式会社年表//社会情勢
5月20日 黒沢翁銅像除幕式、成田公園にて挙行 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
6月8日 諏訪式乾燥機のセイロと竹製籠の比較試験の結果、竹籠優良 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
11月1日 以利仁神社社殿竣工 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
11月5日 未払込株金第2回払込金6万2,500円(1株に付12円50銭)の払込完了、払込済資本金37万5,000円となる 諏訪倉庫株式会社年表//当社の歩み
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