※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 第二回発起人会、発起人総代に足立正を決定 | 東京放送の動き | |
2月10日 | 社会民主党結党 | 社会の動き | |
2月13日 | 地方公務員法施行 | 社会の動き | |
2月13日 | セントポール放送、「財団法人日本文化放送協会」と改称 | 放送界の動き | |
2月16日 | 衆参両院電通委でテレビ放送公開実験 | 放送界の動き | |
2月17日 | 技術主任として遠藤幸吉就任 | 東京放送の動き | |
2月19日 | 六人委員会、空中線出力50KWと決定 | 東京放送の動き | |
2月26日 | 電監委、民放の許可・審議を独自の立場で行ない、ほかからの制約を受けないことを明示 | 放送界の動き | |
3月9日 | 第三回発起人総会(虎ノ門・化学工業会館)、出力50KW案を追認、定款を決定 | 東京放送の動き | |
3月20日 | 株式募集を開始 | 東京放送の動き | |
3月22日 | NHK、新宿・渋谷でテレビ公開 | 放送界の動き | |
4月1日 | 琉球臨時中央政府樹立 | 社会の動き | |
4月14日 | 連合軍最高司令官マッカーサー元帥解任、後任リッジウェイ中将 | 社会の動き | |
4月18日 | 民放免許の難点・ラジオ混信防止に受信機改善委員会が結論、民放免許への道を開く | 放送界の動き | |
4月20日 | 日本開発銀行発足 | 社会の動き | |
4月21日 | 予備免許下付(局名・ラジオ東京、コールサイン・JOKR、周波数・一、一三〇KC、出力・五〇KW) | 東京放送の動き | |
4月21日 | 電監委、東京第二波を採決「日本文化放送」に決め、民放一六社に初の予備免許 | 放送界の動き | |
4月24日 | 国電桜木町事件 | 社会の動き | |
4月26日 | 衆院本会議「テレビ放送実施促進」を議決 | 放送界の動き | |
4月28日 | 第四回発起人総会 | 東京放送の動き |