(社)共同通信社『共同通信社年表』(1996.06)

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月日 事項 年表種別
大正7年(1918) 12月10日 電通、パリ平和会議に上田碩三を特派 マスコミ事項
大正10年(1921) 10月2日 電通、通信部長上田碩三をワシントン海軍軍縮会議に特派 マスコミ事項
昭和4年(1929) 11月 聯合専務理事岩永裕吉、記者加藤万寿男を伴い米国経由でロンドンの海軍補助艦制限会議に赴く 電通も通信部長上田碩三、記者神子島梧郎をロンドン会議に派遣 マスコミ事項
昭和11年(1936) 1月9日 中外商業田中都吉、読売正力松太郎両社長、朝日専務取締役緒方竹虎の3合流交渉委員は同盟専務理事岩永裕吉、電通取締役上田碩三に対し電通合流に関する最終案を提示 マスコミ事項
6月1日 電通通信部は同盟に合体し、同盟広告部は電通に合体。電通は広告代理業専門会社に。同盟常務理事に上田碩三、電通常務取締役に不破嵯磨太就任 マスコミ事項
昭和20年(1945) 7月11日 電通社長光永真三辞任、後任に上田碩三 マスコミ事項
昭和24年(1949) 1月31日 元同盟理事・上田碩三前電通社長とUP極東総支配人M・ボーンら、東京湾でカモ猟中遭難水死(ボーンの功績を記念し「ボーン賞」設定へ) マスコミ事項
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