"光永星郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治34年(1901) | 7月1日 | 光永星郎、「日本広告株式会社」、「電報通信社」を創立 | マスコミ事項 |
大正2年(1913) | 4月8日 | 光永星郎の肝入りで日本新聞協会設立(現在のものとは別)、自ら理事長となる。新聞用紙の関税全廃、新聞電報料金の低減、広告料不払い者との取引拒絶などを決議 | マスコミ事項 |
大正9年(1920) | 12月3日 | 電通専務光永星郎、シベリア視察に出発 | マスコミ事項 |
大正12年(1923) | 4月 | 大阪電報通信社創立、旧電通大阪支局長能島進が社長就任。電通専務取締役光永星郎が初の社長就任 | マスコミ事項 |
昭和8年(1933) | 12月5日 | 電通社長光永星郎、貴族院議員に勅選される | マスコミ事項 |
昭和10年(1935) | 12月2日 | 電通社長光永星郎、200万円で一切の営業権を譲渡する旨の誓約書の破棄を声明し、同社通信部だけの譲渡を申し入れる | マスコミ事項 |
昭和11年(1936) | 1月20日 | 電通社長光永星郎、合流交渉委員の読売社長正力松太郎に対し「交渉打ち切り、白紙還元」を通告 | マスコミ事項 |
昭和15年(1940) | 12月27日 | 光永星郎、電通社長を辞任して顧問となり、後任社長に光永真三就任 | マスコミ事項 |
昭和19年(1944) | 3月24日 | 同盟理事会、光永星郎、小森七郎、田中都吉、正力松太郎、緒方竹虎を顧問に推挙 | マスコミ事項 |
昭和20年(1945) | 2月20日 | 電通前社長光永星郎死去(23日築地本願寺で社葬) | マスコミ事項 |
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