"周恩来"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和29年(1954) | 6月28日 | (3)中国首相周恩来、インド首相ネールと平和5原則(領土主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存)を共同声明 | 一般事項 |
9月20日 | (6)中国第1期全国人民代表大会、国家主席に毛沢東、大会常務委員長に劉少奇、総理に周恩来を選出。中華人民共和国憲法制定 | 一般事項 | |
昭和30年(1955) | 10月3日 | (9)中国首相周恩来、訪中議員団と会見、国交回復の用意と言明 | 一般事項 |
昭和34年(1959) | 9月7日 | 石橋湛山、中国へ出発(20日石橋・周恩来会談、日中友好、政経不可分との共同声明発表) | 一般事項 |
昭和36年(1961) | 10月17日 | (6)ソ連共産党第22回大会(~31日)首相フルシチョフ、アルバニアを非難し、スターリン粛正の真相暴露(19日中国首相周恩来、アルバニア非難に反論。30日レーニン・スターリン廟からスターリンの遺体追放を決議) | 一般事項 |
昭和37年(1962) | 9月19日 | 自民党代議士松村謙三、北京で首相周恩来と会談「積み上げ方式で日中関係正常化」の共同声明発表 | 一般事項[一般] |
昭和39年(1964) | 4月8日 | ☆専務理事岩本清、米ソ英中4カ国歴訪(29日モスクワでソ連第一副首相ミコヤン、5月16日北京で中国首相周恩来と会見) | マスコミ事項 |
11月5日 | (9)中国首相周恩来一行、10月革命記念式典出席のためモスクワ入り(13日首相周、ソ連首脳と会談) | 一般事項[一般] | |
昭和40年(1965) | 4月19日 | AA会議に出席した特使川島正次郎、インドネシア大統領スカルノのあっせんで中国首相周恩来と会談 | 一般事項 |
昭和41年(1966) | 5月9日 | (2)中国、第3回核実験成功と発表(5月10日周恩来首相、核実験は米・ソ独占に対抗と言明。11日中国核実験による「死の灰」全国各地に降下) | 一般事項[一般] |
昭和46年(1971) | 7月15日 | (2)米大統領ニクソン、中国首相周恩来の招きで訪中計画を発表(補佐官キッシンジャーが極秘に北京を訪問して決定) | 一般事項[一般] |
昭和47年(1972) | 2月21日 | (1)米大統領ニクソン訪中、国家主席毛沢東・首相周恩来と会談(27日米中共同声明〈上海コミュニケ〉。平和5原則で合意) | 一般事項[一般] |
9月25日 | (1)首相田中、外相大平ら北京入り。首相周恩来と会談、国交正常化の基本方針で合意(27日毛沢東主席と会談。29日日中国交正常化の共同声明に調印、国交樹立) | 一般事項[一般] | |
昭和51年(1976) | 1月8日 | (1)中国首相周恩来死去(副首相華国鋒が首相代行に) | 一般事項[一般] |
4月5日 | 北京・天安門広場で周恩来追悼の花輪撤去がきっかけで数万の群衆が抗議行動、軍警と衝突(第1次天安門事件) | 一般事項[一般] |
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