"宮沢喜一"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和50年(1975) | 7月24日 | 外相宮沢喜一訪韓、大統領朴正煕訪問後、金大中事件につき韓国口上書(元書記官金東雲不起訴、解職)で決着と表明。灰色政治決着 | 一般事項[一般] |
昭和62年(1987) | 10月8日 | 自民党総裁選告示、蔵相宮沢喜一、総務会長安倍晋太郎、幹事長竹下登の3人立候補(20日首相中曽根康弘、竹下を後継総裁に指名) | 一般事項(1)[竹下政権発足] |
昭和63年(1988) | 7月5日 | 非公開株譲渡問題で前首相中曽根康弘、自民党幹事長安倍晋太郎、副総理兼蔵相宮沢喜一の秘書関与が判明(その後、自民党渡辺美智雄、加藤紘一、加藤六月、社会党上田卓三、民社党委員長塚本三郎らにも譲渡判明。11月8日上田辞職) | 一般事項(1)[リクルート関係] |
10月14日 | 衆院税特委で集中審議、副総理兼蔵相宮沢喜一が非公開株譲渡に関し本人名義認めるが、前秘書が友人の依頼で譲渡されたもので、自身は関知しないと強調(12月1日宮沢は参院税特委で再答弁、「前秘書がした」との従来の答弁を全面修正。9日副総理・蔵相辞任) | 一般事項(1)[リクルート関係] | |
平成3年(1991) | 10月5日 | (3)首相海部俊樹、政治改革法案廃案の責任取り、次期自民党総裁選不出馬を表明(27日宮沢喜一を第15代総裁に選出。11月5日海部内閣総辞職。宮沢が第78代、49人目の首相に就任) | 一般事項[一般] |
平成4年(1992) | 2月3日 | 衆院予算委で首相宮沢喜一、日米経済摩擦に関連し「(米国民には)勤労の倫理感が欠けているのではないか」と発言、米国内で強い反発 | 一般事項[一般] |
4月6日 | 中国共産党総書記江沢民が来日(~10日)、首相宮沢喜一との会談で尖閣諸島領有権問題“棚上げ論”強調。天皇と会見、中国訪問招請 | 一般事項[一般] | |
9月9日 | (5)訪日予定(13日)のロシア大統領エリツィン、首相宮沢喜一との電話会談で訪日延期を正式通告(10日延期の理由は北方領土をめぐる日本の姿勢にあった、と大統領言明) | 一般事項[一般] | |
9月18日 | ☆第17回加盟社編集局長会議(ゲスト首相宮沢喜一、主テーマ〈参院選報道ミスに関連して設置した「選挙報道特別委員会」の調査報告、部際大型サイド企画「表層深層」、佐川急便事件における新潟日報と共同の協力取材〉) | マスコミ事項 | |
平成5年(1993) | 6月18日 | 衆院本会議、野党提出の宮沢喜一内閣不信任案を自民党の羽田派など39人賛成して可決、衆院を解散 | 一般事項(1)[細川連立政権誕生、55年体制崩壊] |
7月22日 | 首相宮沢喜一、自民党両院議員総会で退陣表明(30日自民党第16代総裁に官房長官河野洋平選出。8月5日宮沢内閣総辞職) | 一般事項(1)[細川連立政権誕生、55年体制崩壊] |
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