"岩永裕吉"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | 4月 | 岩永裕吉、国際通信社に入り、取締役就任 | マスコミ事項 |
11月 | 国際取締役岩永裕吉、社員土肥常温とともにワシントン海軍軍縮会議報道のため出張 | マスコミ事項 | |
大正11年(1922) | - | AP社長フランク・ノイス(ワシントン・スター社長)極東の通信社事情視察のため来日、国際社長樺山愛輔、同取締役岩永裕吉と会談、AP~国際間の直接契約締結の可能性について懇談 | マスコミ事項 |
大正12年(1923) | 11月 | ケネディ、国際を退き、岩永裕吉が専務取締役に就任 | マスコミ事項 |
大正14年(1925) | 6月 | 国際専務取締役の岩永裕吉が渡欧。ソ連のロスタ通信社(後のタス通信社)とニュース無償交換協定を結ぶ | マスコミ事項 |
大正15年(1926) | 4月24日 | 新通信社設立に関する最終的審議が行われ、理事会を開き、岩永裕吉を新通信社の専務理事に互選 | マスコミ事項 |
昭和4年(1929) | 11月 | 聯合専務理事岩永裕吉、記者加藤万寿男を伴い米国経由でロンドンの海軍補助艦制限会議に赴く 電通も通信部長上田碩三、記者神子島梧郎をロンドン会議に派遣 | マスコミ事項 |
昭和5年(1930) | 2月25日 | ロイター通信社会長ジョーンズ、ロンドン滞在中の聯合専務理事岩永裕吉、元国際社長樺山愛輔を主賓とし、英国新聞通信界の巨頭を集めて交歓昼食会を開催 | マスコミ事項 |
昭和6年(1931) | 12月19日 | 聯合専務理事岩永裕吉、「満蒙通信社論」を起草し、関東軍司令部に建策 | マスコミ事項 |
昭和8年(1933) | 5月 | AP総支配人ケント・クーパー初めて来日、岩永裕吉と聯合・AP間のニュース交換につき折衝し契約書に調印(ロイターこれを憤り、APに対し前年締結の4社協定破棄を通告) | マスコミ事項 |
8月 | 岩永裕吉、APとロイターを歴訪、APの要請に基づきロイター・AP間の調停、あっせんに努力して成功、聯合・ロイター間の新契約についても折衝 | マスコミ事項 | |
昭和9年(1934) | 2月12日 | ☆岩永裕吉の調停に基づきロイター会長ジョーンズ、APを訪問、新協定に調印して両社は互いに完全な自由を確保 | マスコミ事項 |
昭和10年(1935) | 12月17日 | 同盟第1回社員総会、専務理事に岩永裕吉、常務理事に古野伊之助、畠山敏行を選任 | マスコミ事項 |
昭和11年(1936) | 1月9日 | 中外商業田中都吉、読売正力松太郎両社長、朝日専務取締役緒方竹虎の3合流交渉委員は同盟専務理事岩永裕吉、電通取締役上田碩三に対し電通合流に関する最終案を提示 | マスコミ事項 |
9月2日 | 同盟理事会、初代社長に岩永裕吉を選任 | マスコミ事項 | |
昭和13年(1938) | 12月9日 | 同盟社長岩永裕吉、貴族院議員に勅選される | マスコミ事項 |
昭和14年(1939) | 9月2日 | 同盟社長岩永裕吉死去(7日青山斎場で社葬) | マスコミ事項 |
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