"村山竜平"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治21年(1888) | 7月10日 | 村山竜平、星亨経営の「めさまし新聞」を譲り受け、「東京朝日新聞」と改題発刊 | マスコミ事項 |
明治41年(1908) | 10月1日 | 大阪、東京両朝日新聞社を合併、資本金60万円の「朝日新聞合資会社」とし、社長に村山竜平、監査役に上野理一就任。以後、社長と監査役を両人で1年交代で務める | マスコミ事項 |
大正7年(1918) | 8月25日 | 関西86社連合の内閣糾弾記者大会大阪ホテルで開く。これを報じた大阪朝日夕刊の記事中「白虹日を貫けり」が安寧秩序を乱すものとして発売禁止(9月9日筆者大西利夫ら新聞紙法違反として起訴=白虹事件。10月14日朝日社長村山竜平、白虹事件の責を負い辞任、上野理一社長就任。10月15日、大阪朝日編集局長鳥居素川、社会部長長谷川如是閑も責を負って退社、次いで大山郁夫、花田大五郎、丸山幹治らも退社。12月1日社告「本社の本領宣明」出し論調一変。4日大阪区裁判所で大西ら禁固2月の判決。控訴せず服役) | マスコミ事項 |
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