"金大中"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和48年(1973) | 8月8日 | 韓国の元新民党大統領候補金大中、白昼東京のホテルから韓国人に連行される(13日夜ソウルの自宅に帰る。14日政府、日本側捜査のため金大中らの再来日要請、韓国側拒否) | 一般事項(2)[金大中事件] |
8月23日 | 読売新聞「金大中事件に韓国情報部機関が関係」と報道(24日韓国政府、読売新聞報道の全文取り消しを要求、読売側が拒否したため同紙の国内配布を禁止、ソウル支局の閉鎖と3記者の国外退去を命令) | マスコミ事項 | |
12月3日 | 韓国内閣改造(金大中事件で中央情報部長李厚洛解任) | 一般事項(2)[金大中事件] | |
昭和49年(1974) | 8月14日 | 韓国政府、金大中事件の捜査打ち切りを通告 | 一般事項[一般] |
昭和50年(1975) | 7月24日 | 外相宮沢喜一訪韓、大統領朴正煕訪問後、金大中事件につき韓国口上書(元書記官金東雲不起訴、解職)で決着と表明。灰色政治決着 | 一般事項[一般] |
昭和52年(1977) | 6月22日 | 元KCIA部長金炯旭が米下院外交国際機関分科委で金大中ら致事件に関し「総指揮は李厚洛同部長(当時)、朴大統領が承知、日本警視庁も事前察知」など爆弾証言、日本側当局は否定 | 一般事項[一般] |
昭和54年(1979) | 5月12日 | 「金大中ら致事件(73年8月)はKCIAの犯行」とした米国務省の秘密文書明るみに | 一般事項[一般] |
昭和55年(1980) | 2月29日 | 韓国政府、金大中ら684人の公民権回復と発表 | 一般事項(4)[韓国情勢] |
5月17日 | 非常戒厳令を全土に拡大、金大中ら26人再び逮捕 | 一般事項(4)[韓国情勢] | |
7月12日 | 戒厳司令部、金大中ら9人、内乱陰謀罪容疑で軍法会議に送致 | 一般事項(4)[韓国情勢] | |
9月17日 | (7)韓国戒厳普通軍法会議、金大中に死刑の判決(11月3日韓国戒厳高等軍法会議、金大中の控訴棄却、2審も死刑の判決) | 一般事項[一般] | |
昭和56年(1981) | 1月23日 | 韓国大法院、金大中の上告を棄却し死刑判決確定、直後の閣議で無期懲役に減刑(25日非常戒厳令を解除) | 一般事項 |
昭和57年(1982) | 3月2日 | 韓国政府、全斗煥政権発足1周年記念で恩赦発表、金大中無期から懲役20年に減刑、在日韓国人死刑囚らは無期に | 一般事項 |
12月23日 | (10)韓国政府、内乱罪で服役中の金大中の刑の執行を停止、釈放(韓国居住を許さず、金は家族とともに米国へ出発) | 一般事項 | |
昭和58年(1983) | 5月18日 | 政府、金大中事件捜査に実質終止符を打つ方針決定(8月1日警視庁が特別捜査本部を解散) | 一般事項[一般] |
昭和62年(1987) | 12月16日 | (3)韓国大統領選挙(~17日)、与党民主正義党候補盧泰愚が野党候補の金泳三、金大中を破り当選 | 一般事項[一般] |
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