(社)共同通信社『共同通信社60年史 : 1995-2005』(2007.04)

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月日 事項 年表種別
昭和57年(1982) 10月12日 鈴木善幸首相、総裁選不出馬・退陣を表明(11月24日総裁予備選で中曽根康弘氏が過半数確保。25日臨時党大会で中曽根氏が第11代総裁に就任。27日中曽根内閣発足) 一般事項[※一般事項(海外)は現地時間]
昭和59年(1984) 6月15日 第10回加盟社編集局長会議(ゲスト中曽根康弘首相、真藤恒電電公社総裁講演、主テーマ〈人間くさい記事、女性を取り上げる、ビジュアルの徹底、データベース計画推進、訂正撲滅に校閲班、メモ再編制度〉) 共同事項
9月6日 全斗煥韓国大統領が国賓として初来日(~8日)、中曽根康弘首相と第1回首脳会談、歓迎の宮中晩さん会で天皇が「不幸な過去は誠に遺憾、再び繰り返されてはならぬ」と述べる。日韓共同声明 一般事項[※一般事項(海外)は現地時間]
昭和63年(1988) 7月5日 リクルートの非公開株譲渡問題で中曽根康弘前首相、安倍晋太郎自民党幹事長、宮沢喜一副総理兼蔵相の秘書関与が判明 一般事項[※一般事項(海外)は現地時間]
平成2年(1990) 11月4日 イラク訪問中の中曽根康弘元首相が、フセイン大統領と会談、人質解放求める(8日74人解放され帰国) 一般事項[※一般事項(海外)は現地時間]
平成15年(2003) 10月23日 小泉首相が、中曽根康弘、宮沢喜一両元首相と会談、衆院比例代表の73歳定年制完全適用を伝え引退求め、宮沢氏は引退表明。27日、いったん拒否した中曽根氏が引退受け入れ、衆院選への立候補断念表明 一般事項[※一般事項(海外)は現地時間]
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