(株)講談社『講談社の80年 : 1909~1989』(1990.07)

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月日 事項 年表種別
昭和5年(1930) 6月20日 野間清治初代社長、ベルギー国皇帝よりコマンドール・レオポルド第2世勲3等を贈られる。 講談社年表
6月26日 野間清治初代社長、報知新聞社社長に就任。大隈信常に懇請され、再建にのりだす。 講談社年表
6月 野間清治著『体験を語る』刊(自著第1号、89万7000部)。 講談社年表
昭和6年(1931) 11月28日 野間清治初代社長、住居を音羽《おとわ》町から関口台町へ移す。 講談社年表
12月2日 野間清治初代社長、フランス政府より、シュバリエ・ド・ラ・レジオン・ドヌール勲章を受章。 講談社年表
昭和7年(1932) 7月19日 東京府、貴族院多額納税者の互選人資格を発表。野間清治初代社長、府下長者番付筆頭に。 講談社年表
11月16日 野間清治初代社長、ローマ法皇よりコンメンダートーレ第2級勲章を受章。 講談社年表
11月29日 野間清治初代社長、ルーマニア皇帝より星章コンマンダ勲章を受章。 講談社年表
昭和9年(1934) 3月18日 野間清治の英文自叙伝『講談社の9大雑誌』、英国のメスエン社より刊行。 講談社年表
9月 野間清治初代社長の英文自叙伝『日本の野間』米国バンガード・プレス社より刊行。 講談社年表
11月29日 野間清治初代社長、寄稿家から肖像画を贈られる(新社屋落成記念として。大久保作次郎画。講堂に掲額)。 講談社年表
昭和10年(1935) 3月 野間清治初代社長、台湾興業(株)の相談役に就任(台湾興業は、紙・パルプの製造や木材伐採と加工などを営む会社)。 講談社年表
5月 野間清治初代社長の独文自叙伝『KODANSHA』をドイツのホーレー社より刊行。 講談社年表
昭和11年(1936) 1月18日 野間清治初代社長、日本雑誌協会会長に就任。 講談社年表
7月1日 野間清治社長の自叙伝『私の半生』を千倉書房より刊行(昭14.12増補改訂版を講談社より刊行)。 講談社年表
昭和12年(1937) 6月22日 野間清治社長、凸版《とっぱん》印刷(株)取締役に就任。 講談社年表
7月15日 野間清治社長、著作権審査委員に選任される。 講談社年表
9月25日 野間清治社長、内閣情報部参与に選任。 講談社年表
昭和13年(1938) 10月16日 野間清治社長、狭心症のため死去。59歳。10.20講堂にて社葬(法名、威徳院殿文誉義道清秀大居士《いとくいんでんぶんよぎどうせいしゅうだいこじ》)。 講談社年表
10月16日 野間恒、第2代社長に就任。野間清治初代社長の遺志をついで、100万円を軍人援護会に寄付。また雑誌協会会館建設資金として5万円を寄付(11.5)。 講談社年表
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