"円谷文夫"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和28年(1953) | 6月5日 | 外信部勤務円谷文夫(ロサンゼルス特派員) | 人事異動の部 |
昭和30年(1955) | 7月15日 | 外信部海外電報版主任円谷文夫(外信部社員)、外信部次長を解く(長期病欠のため)小黒大州(外信部次長)、外信部海外電報版主任を解く(長期病欠のため)石川滋(外信部海外電報版主任) | 人事異動の部 |
昭和31年(1956) | 6月20日 | 盛岡支局長兼務中川義次(仙台支社長)、編集部交通運輸版主任尾池節(盛岡支局長)、和歌山支局長西向種吉(大阪支社連絡部長)、高松支局長川井行雄(和歌山支局長)、神戸支局業務主任伊藤満男(高松支局長)、大阪支社連絡部長兼務福吉健治(大阪支社商況部長)、ボン特派員円谷文夫(外信部海外電報版主任) | 人事異動の部 |
昭和33年(1958) | 2月17日 | 第一編集局勤務(内外情勢調査会出向)円谷文夫(ボン特派員) | 人事異動の部 |
10月1日 | 事業本部勤務(内外情勢調査会へ出向)原子林二郎(ロンドン特派員)、外信部次長円谷文夫(内外情勢調査会出向社員)、水産部次長高橋忠(整理部証券同報主任)、発信部電信主任大川信吉(カラチ特派員)、発信部整備主任伊崎義清(発信部電信主任) | 人事異動の部 | |
昭和36年(1961) | 3月21日 | ニューヨーク特派員坂内富雄(第一編集局外信部長)、第一編集局外信部長円谷文夫(第一編集局外信部次長) | 人事異動の部 |
昭和37年(1962) | 7月12日 | ニコラス・デウィット著、円谷文夫訳「ソビエト連邦の教育と雇用」 | 事業関係の部 |
昭和38年(1963) | 2月10日 | 第一編集局外信部長兼務坂内富雄(第一編集局次長)、第一編集局外信部次長森永和彦(第一編集局外信部勤務)、第一編集局外信部外経主任藤城博(第一編集局外信部勤務)、ハンブルク特派員円谷文夫(第一編集局外信部長) | 人事異動の部 |
昭和39年(1964) | 9月10日 | 第一編集局整理部勤務円谷文夫(ハンブルク特派員) | 人事異動の部 |
昭和40年(1965) | 2月22日 | 第一編集局マスメデア部長の兼務を解く坂内富雄(第一編集局次長兼マスメデア部長)[、]第一編集局マスメデア部長兼連絡局発信部長菊地四郎(連絡局発信部長)、第一編集局マスメデア部次長(各通)高橋忠、円谷文夫、真名垣嘉雄(第一編集局整理部次長)、第一編集局マスメデア部手書主任高島宏(総務局人事部労務主任) | 人事異動の部 |
4月1日 | 第一編集局外信部長原子林二郎(第一編集局付)[、]第一編集局外信部次長森永和彦(第一編集局外信部長)[、]第一編集局外信部次長円谷文夫(第一編集局マスメデア部次長)、大阪支社編集部長高木一郎(大阪支社編集部次長)、第一編集部マスメデア部勤務井上衛(大阪支社編集部長)、サンフランシスコ特派員本田忠尚(第二編集局特信部特信主任) | 人事異動の部 |
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