(株)ダイヤモンド社『七十五年史』(1988.11)

"石山賢吉"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正2年(1913) 3月 石山賢吉、池田藤四郎氏より新雑誌の発行を勧められ、米倉嘉兵衛氏に相談の結果、発行を決意 当社の歩み
大正4年(1915) 10月 石山賢吉著『決算報告の見方』を刊行、好評を博す 当社の歩み
大正10年(1921) 10月 傍系会社・美術印刷(株)を創設、同社専務に石山賢吉が就任(十二年五月、取締役社長)、工場を東京府下高田町一九五に設ける 当社の歩み
昭和7年(1932) 4月 石山賢吉、時事新報社取締役に就任 当社の歩み
昭和14年(1939) 8月 『ダイヤモンド』に石山賢吉の「私の主張」欄を設ける 当社の歩み
昭和15年(1940) 12月20日 代表取締役会長に石山賢吉、同社長に阿部留太が就任 当社の歩み
昭和22年(1947) 4月 石山賢吉、衆議院議員に当選 当社の歩み
10月 石山賢吉公職追放となり、議員と当社会長職を辞任 当社の歩み
昭和23年(1948) 3月 石山賢吉追放解除となり、取締役顧問に就任 当社の歩み
昭和25年(1950) 7月 石山賢吉、取締役会長に就任 当社の歩み
昭和26年(1951) 7月 石山賢吉、代表取締役会長に復帰 当社の歩み
昭和30年(1955) 3月 石山賢吉、菊池寛賞を受賞 当社の歩み
昭和31年(1956) 12月 石山賢吉、国鉄の運賃値上げに対し『ダイヤモンド』に公開質問状を発表、経営合理化の必要性を説き論争展開 当社の歩み
昭和37年(1962) 12月 石山賢吉、藍綬褒章を受章 当社の歩み
昭和39年(1964) 7月23日 石山賢吉会長死去、東京・青山葬儀所にて社葬を執行(二十五日) 当社の歩み
昭和55年(1980) 11月 石山賢吉生誕一〇〇年記念パーティを開催(東京会館)、著作集『人智無極』を刊行 当社の歩み
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