(株)長崎新聞社『激動を伝えて一世紀 : 長崎新聞社史』(2001.09)

"福地桜痴"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
天保12年(1841) 3月23日 福地桜痴(日本新聞界の先覚)長崎・新石灰町に生まれる 県内マスコミ関連
嘉永5年(1852) - この年 福地桜痴(11歳)が長崎で「皇朝二十四孝伝」を著し“福地の天童”と騒がれる その他の動き(県内外)
安政4年(1857) - この年 福地桜痴(16歳)がオランダ稽古通詞となり、12月上京 その他の動き(県内外)
安政6年(1859) - この年 福地桜痴、外国奉行に採用 その他の動き(県内外)
文久元年(1861) 12月22日 福地桜痴、欧州使節団の一員として渡欧 その他の動き(県内外)
慶応4年(1868) 4月 福地桜痴、東京で「江湖新聞」創刊、6.8発行禁止に 県内マスコミ関連
明治7年(1874) 3月 福地桜痴、官職を辞任 その他の動き(県内外)
12月 福地桜痴、東京日日新聞社社長兼主筆に就任。わが国初の「社説」執筆始める 県内マスコミ関連
明治21年(1888) 7月 福地桜痴(48歳)東京日日を去る 県内マスコミ関連
- この年 福地桜痴、劇作家となる その他の動き(県内外)
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