(株)日本経済新聞社『日本経済新聞社百年史』(1976.12)

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月日 事項 年表種別
昭和17年(1942) 3月26日 サイゴン、昭南バンコク、マニラに支局を開設。中山真、大軒順三、酒井剛、大和勇三の四記者それぞれ支局長として赴任。
昭和18年(1943) 9月20日 昭南(シンガポール)支局長大軒順三帰社、後任として斎藤栄三郎赴任。
昭和26年(1951) 8月16日 サンフランシスコの対日講和会議報道のため編集局次長大軒順三、外報部次長木原健男の両記者を特派。
昭和29年(1954) 2月27日 第八十二回定時株主総会、続いて取締役会を開き、取締役工務局長福田薫、同編集局長円城寺次郎、それぞれ常務取締役となって常務四名となり、新たに編集局次長大軒順三、同中山真取締役に就任、喜多一重取締役を辞して監査役となり、勝川喜之助取締役退任。
3月1日 取締役中島光矢総務局長(社長室長兼務)に就任、常務取締役工務局長福田薫大阪支社長に、取締役編集局次長大軒順三工務局長に、同中山真大阪支社次長兼工場長となる。新たに理事、参事制を設ける。
昭和31年(1956) 2月28日 第八十四回定時株主総会および取締役会、全役員任期満了改選の結果、代表取締役社長に万直次、常務取締役に福田薫(業務担当、業務局長)円城寺次郎(主幹、大阪支社担当)中島光矢(総務、経理担当)取締役に大軒順三(業務担当補佐)中山真(大阪支社長兼支社工務局長)安養寺敏郎(労務担当、工務局長)監査役に福島俊雄(前取締役)小木曾初二(同、業務局長)を選任、また前社長小嶋定吉を顧問とする。
昭和33年(1958) 11月9日 人事異動、業務担当に常務取締役福田薫、東京本社業務局長に取締役大軒順三、労務・総務担当に取締役中山真、東京本社総務局長に荻原伯永、東京本社編集局長に佃正弘が就任。
昭和36年(1961) 2月10日 取締役・東京本社業務局長大軒順三、業務担当補佐に、大阪支社業務局長遠藤一郎、東京本社業務局長に、東京本社業務局次長武藤直嘉、大阪支社業務局長に異動。
2月20日 取締役大軒順三、常務取締役に就任。
2月21日 大阪支社を本社に昇格。これに伴い機構職制を改正、常務取締役大軒順三、大阪本社代表に就任、取締役・大阪支社長村合正夫、大阪本社総務となり、常務取締役・主幹円城寺次郎の大阪支社担当を解く、また取締役中山真の東京本社工務局長を解き、大阪支社編集局長酒井剛が東京本社工務局長に、大阪支社編集局次長小針寛司が大阪本社編集局長に就任。
昭和40年(1965) 9月8日 取締役会で常務取締役・大阪本社代表大軒順三の営業担当と東京本社営業局長事務取扱を決定。
9月20日 機構職制改正に伴い常務取締役・大阪本社代表・営業担当大軒順三の東京本社営業局長事務取扱を解き、役員担当変更と人事異動を実施、営業担当補佐・東京本社販売局長に取締役酒井剛、西部支社代表に湧口茂輝、広告本部長兼開発部長に畑山良広、東京本社広告局長に山崎武敏が就任。
10月20日 常務取締役・主幹円城寺次郎専務取締役に就任、常務取締役・営業担当大軒順三の大阪本社代表を解き、人事異動を実施、大阪本社代表に常務取締役佐藤良邦、新聞製作部門・総務・労務・技術・関係事業担当に常務取締役佃正弘、労務担当補佐・東京本社総務局長に山口林三が就任。
昭和51年(1976) 3月12日 第百四回定時株主総会、役員会で大軒順三専務、社長に就任、円城寺次郎社長は会長へ、黒川洸出版局長、吉田敏男事業本部長を取締役に新任。武藤直嘉監査役は堀畑正領と交替。
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