(株)日本交通公社『日本交通公社七十年史』(1982.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
嘉永6年(1853) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
10月 幕府大船建造の禁を解く 交通・旅行
安政元年(1854) 3月 日米和親条約締結 社会
安政3年(1856) - 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 渋沢関係略年譜
7月 ハリス下田に着任 社会
万延元年(1860) 3月 桜田門の変 社会
安政7年(1860) - 幕府遣米使節船・咸臨丸出帆 交通・旅行
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
4月 南北戦争はじまる 社会
文久3年(1863) - 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 渋沢関係略年譜
1月 リンカーンの奴隷解放宣言 社会
5月 下関事件 社会
7月 薩英戦争 社会
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
- 4国連合艦隊、下関を砲撃 社会
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
11月 幕府5街道に馬車の使用を許可 交通・旅行
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
10月 大政奉還 社会
- 蒸気船・奇捷丸、江戸・大阪間定期航路開始 交通・旅行
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
1月 鳥羽伏見の戦い 社会
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
1月 諸道の関所廃止 交通・旅行
7月 横浜・箱根間乗合馬車走る 交通・旅行
12月 東京・横浜間に電信開通 交通・旅行
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
- 東京・高崎間に乗合馬車走る 交通・旅行
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
4月 大井川に渡し船開始 交通・旅行
7月 廃藩置県 社会
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