(株)報知新聞社『世紀を超えて : 報知新聞百二十年史 : 郵便報知からスポーツ報知まで』(1993.06)

"大隈重信"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治11年(1878) 6月 参議大隈重信(のちの総理大臣)、報知と提携。半世紀にわたるきずなを結ぶ 報知新聞社
明治13年(1880) 2月 国会開設に備えた大隈重信の意向から、犬養毅、牛場卓造退社し官途に就く。残った藤田茂吉、箕浦勝人が栗本鋤雲と力を合わせて新聞の改善に努めるが、当局の弾圧が続き“処分引受係”の仮編集人が次々と処罰される 報知新聞社
明治14年(1881) 10月 政変で大隈重信参議政府を去る。行動をともにして官を辞した矢野文雄、犬養毅が復帰。尾崎行雄入社 報知新聞社
12月 社主小西義敬、経営の一切を大隈重信、矢野文雄に譲渡 報知新聞社
明治15年(1882) 1月7日 大隈重信以下本社幹部を網羅した“その筋へ届け済み”の立憲改進党員名を紙面に発表。政党活動への意欲にわき、政府攻撃の論陣を張る 報知新聞社
4月16日 大隈重信総理の立憲改進党発足。本紙は政党機関紙的存在となる 報知新聞社
4月16日 立憲改進党結党式、総理大隈重信 社会
明治21年(1888) 2月1日 矢野文雄社主、社員会合で「大隈重信伯の伊藤博文内閣への入閣(外相)を支持する」と報知の態度を明らかにする 報知新聞社
2月1日 大隈重信、伊藤内閣外相に就任 社会
明治29年(1896) 9月18日 第2次松方正義内閣成立、大隈重信を外相に任命(松隈内閣) 社会
明治34年(1901) 2月11日 「商家雇人奨励会」を上野で開催。大隈重信も来場して激励 報知新聞社
明治44年(1911) 7月9日 羽田扇ヶ浦の報知主催の海水浴場開場式に大隈重信、渋沢栄一、下田歌子ら当代一流の顔ぶれそろう。藪《やぶ》入りの16日には羽田始まって以来の1万人の入場者 報知新聞社
12月20日 8月の連載記事「光顕伯栄華物語」のすっぱ抜きに対する田中光顕の名誉棄損の告訴で、編集人横前正輔に懲役6か月の判決。直ちに控訴したが、大隈重信の仲介で45年3月に和解 報知新聞社
大正3年(1914) 4月16日 第2次大隈重信内閣成立 社会
大正11年(1922) 1月10日 大隈重信死去。85歳。日比谷公会堂でいわゆる国民葬、参列者10万人 社会
昭和2年(1927) 12月 年半空席だった社長に大隈信常(大隈重信の養嗣子)が就任 報知新聞社
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