"大隈重信"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治11年(1878) | 6月 | 参議大隈重信(のちの総理大臣)、報知と提携。半世紀にわたるきずなを結ぶ | 報知新聞社 |
明治13年(1880) | 2月 | 国会開設に備えた大隈重信の意向から、犬養毅、牛場卓造退社し官途に就く。残った藤田茂吉、箕浦勝人が栗本鋤雲と力を合わせて新聞の改善に努めるが、当局の弾圧が続き“処分引受係”の仮編集人が次々と処罰される | 報知新聞社 |
明治14年(1881) | 10月 | 政変で大隈重信参議政府を去る。行動をともにして官を辞した矢野文雄、犬養毅が復帰。尾崎行雄入社 | 報知新聞社 |
12月 | 社主小西義敬、経営の一切を大隈重信、矢野文雄に譲渡 | 報知新聞社 | |
明治15年(1882) | 1月7日 | 大隈重信以下本社幹部を網羅した“その筋へ届け済み”の立憲改進党員名を紙面に発表。政党活動への意欲にわき、政府攻撃の論陣を張る | 報知新聞社 |
4月16日 | 大隈重信総理の立憲改進党発足。本紙は政党機関紙的存在となる | 報知新聞社 | |
4月16日 | 立憲改進党結党式、総理大隈重信 | 社会 | |
明治21年(1888) | 2月1日 | 矢野文雄社主、社員会合で「大隈重信伯の伊藤博文内閣への入閣(外相)を支持する」と報知の態度を明らかにする | 報知新聞社 |
2月1日 | 大隈重信、伊藤内閣外相に就任 | 社会 | |
明治29年(1896) | 9月18日 | 第2次松方正義内閣成立、大隈重信を外相に任命(松隈内閣) | 社会 |
明治34年(1901) | 2月11日 | 「商家雇人奨励会」を上野で開催。大隈重信も来場して激励 | 報知新聞社 |
明治44年(1911) | 7月9日 | 羽田扇ヶ浦の報知主催の海水浴場開場式に大隈重信、渋沢栄一、下田歌子ら当代一流の顔ぶれそろう。藪《やぶ》入りの16日には羽田始まって以来の1万人の入場者 | 報知新聞社 |
12月20日 | 8月の連載記事「光顕伯栄華物語」のすっぱ抜きに対する田中光顕の名誉棄損の告訴で、編集人横前正輔に懲役6か月の判決。直ちに控訴したが、大隈重信の仲介で45年3月に和解 | 報知新聞社 | |
大正3年(1914) | 4月16日 | 第2次大隈重信内閣成立 | 社会 |
大正11年(1922) | 1月10日 | 大隈重信死去。85歳。日比谷公会堂でいわゆる国民葬、参列者10万人 | 社会 |
昭和2年(1927) | 12月 | 年半空席だった社長に大隈信常(大隈重信の養嗣子)が就任 | 報知新聞社 |
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