(株)報知新聞社『世紀を超えて : 報知新聞百二十年史 : 郵便報知からスポーツ報知まで』(1993.06)

"栗本鋤雲"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治7年(1874) 6月 元幕臣の栗本鋤雲(52)入社、6月22日付から編集責任者となる。栗本は福沢諭吉に助力を請い、門下の秀才の論文投書を依頼。箕浦勝人(22)、藤田茂吉(23)、牛場卓造(26)らの気鋭が論文発表 報知新聞社
明治10年(1877) 8月21日 東京・上野の第1回内国勧業博に創刊以来の新聞を額に仕立て出品、印刷機械場を開放して時代の進歩と新聞の役割の認識を高め、竜紋褒賞を受賞。栗本鋤雲の「博覧会私評」は新聞評のパイオニア 報知新聞社
明治13年(1880) 2月 国会開設に備えた大隈重信の意向から、犬養毅、牛場卓造退社し官途に就く。残った藤田茂吉、箕浦勝人が栗本鋤雲と力を合わせて新聞の改善に努めるが、当局の弾圧が続き“処分引受係”の仮編集人が次々と処罰される 報知新聞社
明治18年(1885) - ※この年、編集の長老として活躍した栗本鋤雲、老齢により退社 報知新聞社
明治30年(1897) 3月6日 栗本鋤雲死去。76歳 報知新聞社
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