(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"中江兆民"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治14年(1881) 3月18日 「東洋自由新報」創刊(社長西園寺公望、発起人総代松田正久、主筆中江兆民) マスコミ
明治19年(1886) 10月24日 星亭・中江兆民らが発起人となり、東京で旧自由党員を中心とした全国有志大懇親会を開く。星ら、小異を捨てて大同団結することを主張 一般
明治21年(1888) 1月15日 「東雲」創刊(大阪、主宰中江兆民) マスコミ
明治22年(1889) 7月10日 「政論」、日刊となり、中江兆民を主筆に迎える マスコミ
明治23年(1890) 1月21日 大井憲太郎・中江兆民ら東京で再興自由党結党式 一般
10月17日 「江湖」、立憲自由党左派の機関紙となる。主筆高橋基一、記者中江兆民・河島醇・大井憲太郎ら マスコミ
明治24年(1891) 1月1日 「立憲自由」創刊(「江湖」改題、主筆中江兆民) マスコミ
2月21日 中江兆民、議会の現状に失望し辞表提出 一般
6月1日 「民権新聞」創刊(「立憲自由」の後継紙、主筆中江兆民) マスコミ
明治34年(1901) 12月13日 中江兆民死去 一般
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