"前田晃"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | 10月 | 作家前田晃、同水野仙子入社、前田は初代婦人部長となる。6年6月窪田空穂の退社とともに、前田、水野に続いて保高徳蔵、松村英一など「婦人附録」編集の作家たち退社 | 本社 |
大正6年(1917) | 8月8日 | 文芸欄に有島武郎「平凡人の言禍、前田晃氏と氏の如き態度にある批評家に―」(~10、3回)がでる。これには、前田が「時事新報」の文芸時評でおかした矛盾を有島が「新潮」7月号で皮肉り、さらに前田が「文章世界」8月号で弁解したという前提がある。前田の「作中人物の責任、有島武郎氏と氏の如き態度にある創作家に―」(8.21、22、23、24、4回)が続き、さらに「文章世界」「新潮」に二人の論争は引きつがれる。白樺と自然派の対立から生まれた論争の一つである | 本社 |
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