(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"坪内逍遥"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
明治15年(1882) 9月26日 春の屋おぼろ(坪内逍遥)、「貨幣の真理の良訳」を投稿 本社
明治17年(1884) 6月6日 坪内逍遥訳「該撤奇談自由太刀余波鋭鋒」(ジュリアス・シーザーの訳)を雑譚で「日本始めて訳書あり」と称賛 本社
明治18年(1885) 5月13日 坪内逍遥、寄書欄に「詩歌の改良」を投稿(5.10付投書「詩歌は文明と併進せず」=浅野狂夫=に答えて) 本社
5月19日 坪内逍遥、「粋論」を投稿 本社
6月24日 坪内逍遥「一読三歎 当世書生気質」刊行 一般
6月27日 坪内逍遥の「当世書生気質」出版を報道 本社
9月15日 坪内逍遥の「小説神髄」第1号出版、第2号近日発刊と報道 本社
9月 坪内逍遥「小説神髄」第1号分冊刊 一般
明治19年(1886) 10月5日 坪内逍遥がその作「妹と背鏡」につき、寄書欄で読者に注釈 本社
10月20日 坪内逍遥、雑譚に「末松君の演劇改良論を読む」を掲げ、演劇改良会の発起人末松謙澄と論戦の口火を切る(10.23末松反論、10.26坪内再反論)(~21日) 本社
10月24日 坪内逍遥の雑譚「チョボは改良すべし廃すべからず」 本社
10月29日 同上[坪内逍遥の]雑譚「再びチョボと傍言(アサイド)を論ず」 本社
11月4日 坪内逍遥、雑譚に「河竹黙阿弥翁に告ぐ」を掲げて激励(署名は「朧月庵」、19、21、26と計4回) 本社
明治20年(1887) 1月19日 雑譚「小説の厄運」(文芸評論、筆者は「白雪山人」。1.21坪内逍遥が陳弁) 本社
1月27日 坪内逍遥の小説「旅ごろも」連載(~2.5) 本社
4月9日 坪内逍遥、政治小説「内地雑居 未来の夢」の中断理由を寄書欄で釈明 本社
4月23日 坪内逍遥、評論「小説の手段」を寄稿(~4.28まで3回) 本社
6月14日 坪内逍遥の評論「未来記に類する小説」(~6.15) 本社
9月28日 紙面改良社告。坪内逍遥を客員、杉浦重剛を社友とする 本社
10月1日 高田早苗執筆の「通俗国会問答」連載開始(~21.7.22)坪内逍遥の小説「種拾ひ」連載(~11.9) 本社
PAGE TOP