(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"安倍能成"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治45年(1912) 2月3日 ロンドン・メール、ホンコン・プレス通信、ジャパン・アドバータイザー各主筆のJ・N・ベンリングトンを客員とし、本紙英文欄、に執筆と社告。同時に、小宮豊隆・森田草平・阿部次郎・安倍能成も本年に至り客員になったと社告 本社
大正3年(1914) 3月21日 「婦人附録」編集顧問・羽仁吉一、同主任・小橋三四子、与謝野晶子、田村俊子ら4人、文芸欄執筆のため徳田秋声、上司小剣、松本雲舟、正宗白鳥、佐藤紅緑ら5人、客員として小宮豊隆、、阿部次郎、安倍能成、森田草平ら4人、運動欄・学生欄充実のため吉岡信敬、さらに中村雅治、沢村晴夫、町田源太郎、大井包高、沢田撫松の計19人の入社を発表(社告) 本社
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