(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"小野梓"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治8年(1875) 1月 「共存雑誌」発刊(小野梓発起の共存同衆の機関紙) マスコミ
明治14年(1881) 10月13日 大隈罷免に反対し、矢野文雄・尾崎行雄・犬養毅・中上川彦次郎ら辞任。ついで河野敏鎌・前島密・小野梓も辞任 一般
明治15年(1882) 3月14日 河野敏鎌・前島密・小野梓ら、嚶鳴社の沼間守一ら、東洋議政会の矢野文雄らと協議して立憲改進党趣意書を発表 一般
10月18日 「内外政党事情」創刊(主宰小野梓、編集・経営山田一郎・市島謙吉。服部誠一の「江湖新報」の改題、隔日刊) マスコミ
10月21日 大隈重信・小野梓ら、東京専門学校開校式を挙行 一般
明治16年(1883) 8月1日 小野梓、東洋館開業(冨山房の前身) 一般
明治17年(1884) 1月4日 紙幅を拡張、1ページ5段、1段5号活字23字詰め43行とする。雑譚に「紙幅拡張の理由」(加藤瓢乎筆)を掲げる。小野梓を雑譚執筆者に招く。この年から記事にはじめて標題(小見出し)をつける 本社
2月5日 小野梓、雑譚に「通俗自由の理」を連載(~3.22、8回) 本社
4月20日 「郵便報知」の矢野文雄社長、欧州の新聞事業視察のため横浜出帆(4.19小野梓、前島密ら発起人となり、両国中村楼で壮行会) マスコミ
7月20日 小野梓、雑譚に「神官僧侶の覚悟の時至れり」を掲げ、キリスト教布教自由化にその自覚を要望 本社
11月26日 小野梓、「会計年度論」を連載(~12.7、6回) 本社
明治18年(1885) 4月16日 小野梓、雑譚に「紙幣引換の方法」を掲げる(4.17、2回) 本社
6月9日 小野梓、雑譚に「銀なる哉銀なる哉」を掲げ、乱発紙幣消却に賛意を表する 本社
明治19年(1886) 1月11日 小野梓死去 一般
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