(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"岩野泡鳴"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治30年(1897) 4月8日 岩野泡鳴、「鉱毒の歌」(13節)を寄せる 本社
明治40年(1907) 10月13日 岩野泡鳴「諸評家の自然主義を評す」(評論)。 本社
明治41年(1908) 11月15日 岩野泡鳴「文芸取締問題と自然主義(当局者の反省を促す)」(評論) 本社
大正5年(1916) 7月21日 論説「人類の共同と男女の共同」(~7.22、23、3回)を掲げ、島村抱月と月子、岩野泡鳴と清子の事件など続発の世相に言及。大杉栄、神近市子に刺される(11.9)や「所謂自由恋愛説」(12.5、6、2回)を掲げる 本社
大正7年(1918) 7月6日 「文壇昔話」土岐哀果、島村抱月、岡本綺堂、岩野泡鳴ら30人余が登場、半年の間文芸欄を彩る(~12.28) 本社
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