(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"市島謙吉"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治15年(1882) 10月18日 「内外政党事情」創刊(主宰小野梓、編集・経営山田一郎・市島謙吉。服部誠一の「江湖新報」の改題、隔日刊) マスコミ
明治23年(1890) 10月1日 市島謙吉(春城)入社。 本社
明治24年(1891) 12月1日 市島謙吉の論説「勅令205号の疑案」(勅令205号は濃尾震災の救助復旧費の予算外支出に関する件) 本社
明治25年(1892) 1月1日 市島謙吉、奥付にはじめて主筆として署名。編集長は中井喜太郎 本社
明治26年(1893) 1月9日 社説「新聞条例の改正を望む」(~1.11、同盟新聞大会における市島謙吉主筆の演説) 本社
明治27年(1894) 5月 主筆市島謙吉(春城)顧問となり、中井喜太郎(錦城)が主筆就任。編集長は石井勇(白露) 本社
10月12日 石井勇・三浦浜南ほか数人を広島議会に特派。議員高田早苗・市島謙吉も協力 本社
明治29年(1896) 1月17日 新聞紙発行停止全廃に関する全国新聞記者同盟大会、木挽町の万安楼で開かれ、本社から中井主筆ほか市島謙吉(顧問)-石井勇(編集長)・賀来昌之・匹田鋭吉・増田義一・越智修吉・足立荒人の8人出席。中井が大会決議案を朗読 本社
3月3日 市島謙吉「広軌鉄道論」(~3.8、5回。 3.25~4.4再論、8回) 本社
昭和19年(1944) 3月21日 元本社主筆市島謙吉死去 本社
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