"平林初之輔"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | 5月3日 | 文芸欄に「レンズは正確らしいが曇りある武者小路氏」、5.5には「プロかアンチか武者小路氏の中立的態度」という平林初之輔の文壇月評を掲げる。これに対し、5.20、5.21の2回武者小路が反論、さらに前田河広一郎(5.24、5.25)、平林(5.26、5.27)堀江朔(5.28、5.30)などの発言があって、武者小路と社会主義文学者との考えの相違を明らかにする論争が展開された | 本社 |
大正11年(1922) | 1月28日 | 宮島資夫「第四階級の文学」(~2.2、5回)これは大正9年9月文章世界の「第四階級の文学」中野秀人、を発端とする「階級芸術論争」の一環をなすもので、この論争には平林初之輔、有島武郎、広津和郎、菊池寛、久米正雄、芥川竜之介などが参加。9、10、11年へかけて階級芸術是非の論にわく | 本社 |
2月27日 | 論説「過激運動取締案・結果は却って有害」を掲げ、3.14、3.16にも重ねて思想取り締まりの錯誤と無理解を説く。文芸欄でも2.21~3.11の間、小牧近江、長谷川天渓、平林初之輔、小川未明、馬場孤蝶、白鳥省吾らが、思想は権力で抑圧できぬと発言する | 本社 | |
大正12年(1923) | 2月16日 | 文芸欄に平林初之輔「玩具の洋刀の『挑戦』―福士幸次郎氏に答へる」がでる。これは「新潮」2月号の福士幸次郎「プロレタリア文学への挑戦」に応じたもので、このあと、3.15福士は「平林初之輔君への応酬」を書く | 本社 |
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