"広津和郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | 4月20日 | 広津和郎「二人の不幸者」(~7.23、59回) | 本社 |
大正11年(1922) | 1月28日 | 宮島資夫「第四階級の文学」(~2.2、5回)これは大正9年9月文章世界の「第四階級の文学」中野秀人、を発端とする「階級芸術論争」の一環をなすもので、この論争には平林初之輔、有島武郎、広津和郎、菊池寛、久米正雄、芥川竜之介などが参加。9、10、11年へかけて階級芸術是非の論にわく | 本社 |
1月 | 有島武郎「宣言一つ」(改造)がでて広津和郎、堺利彦、片上伸、河上肇、加藤一夫、本間久雄、青野季吉らの批判を呼ぶ | 一般 | |
昭和2年(1927) | 4月13日 | 1万8,000号を控えて「文芸興起」をうたう社告掲載。正宗白鳥・小山内薫・武者小路実篤・広津和郎を客員に迎える。 | 本社 |
昭和4年(1929) | 2月19日 | 文芸面に「創作」欄。広津和郎ら8人の短編を連載 | 本社 |
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