(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"成島柳北"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治7年(1874) 9月23日 「朝野」(「公文通誌」改題)創刊、成島柳北主宰 マスコミ
明治9年(1876) 8月31日 成島柳北「柳橋新誌」、服部誠一「東京新繁昌記」、風俗壊乱の恐れありと発売禁止(出版者山城屋政吉の願いで年内販売許される) マスコミ
明治10年(1877) 1月4日 成島柳北ら「花月新誌」(文芸雑誌)を創刊 マスコミ
明治13年(1880) 1月18日 本紙第1,500号。向島「植半楼」で祝宴(社員50余人、来賓成島柳北、山田藾生ら10余人出席) 本社
明治14年(1881) 1月4日 紙幅拡張。題字を永坂石埭筆の横書きに改める。購読料を1枚1銭3厘、月25銭に改定。成島柳北(「朝野」社長)、子安社長の依頼で本紙雑譚執筆者となる 本社
1月12日 子安社長、浜松町に新築の邸で社員新年宴会を開き、成島柳北も出席 本社
2月18日 成島柳北、雑譚に「紅葉館の記」を掲げる 本社
6月19日 濹上漁史(成島柳北)、雑譚に「やかましの笛」を掲げる(隅田川蒸汽船の汽笛の騒音に一言) 本社
8月16日 成島柳北、雑譚「今昔の変化」で両国橋下の川涼み舟禁止を風刺 本社
11月22日 成島柳北、雑譚「隅田の冬げしき」で官権と民権に言及 本社
11月27日 同上[成島柳北、雑譚]「大晦日近し」で国会開設の23年に言及 本社
明治16年(1883) 1月26日 成島柳北、雑譚に「療養の分疏」を掲げ、28日熱海に出発、以後同地から原稿送る 本社
6月21日 成島柳北、雑譚で「新聞取締りの強化は、新聞の勢力増大の証左」と言論圧迫に苦しむ同業各社を激励 本社
明治17年(1884) 11月12日 雑譚「酉市の繁昌」(成島柳北の本紙上の絶筆) 本社
11月30日 成島柳北死去 本社
明治18年(1885) 11月22日 向島長命寺に成島柳北の碑を完成、追福会催す マスコミ
明治31年(1898) 11月1日 伝記「成島柳北」(~12.8 17回) 本社
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