(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

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月日 事項 年表種別
明治43年(1910) 4月 「白樺」創刊(主宰者武者小路実篤・志賀直哉・有島武郎ら) マスコミ
大正6年(1917) 8月8日 文芸欄に有島武郎「平凡人の言禍、前田晃氏と氏の如き態度にある批評家に―」(~10、3回)がでる。これには、前田が「時事新報」の文芸時評でおかした矛盾を有島が「新潮」7月号で皮肉り、さらに前田が「文章世界」8月号で弁解したという前提がある。前田の「作中人物の責任、有島武郎氏と氏の如き態度にある創作家に―」(8.21、22、23、24、4回)が続き、さらに「文章世界」「新潮」に二人の論争は引きつがれる。白樺と自然派の対立から生まれた論争の一つである 本社
大正9年(1920) 5月21日 文芸欄に「文芸の社会化」を連載(~10.1.5)江口渙、小川未明、中村吉蔵、杉森孝次郎、本間久雄、有島武郎、馬場孤蝶、片上伸ら執筆 本社
大正11年(1922) 1月28日 宮島資夫「第四階級の文学」(~2.2、5回)これは大正9年9月文章世界の「第四階級の文学」中野秀人、を発端とする「階級芸術論争」の一環をなすもので、この論争には平林初之輔、有島武郎、広津和郎、菊池寛、久米正雄、芥川竜之介などが参加。9、10、11年へかけて階級芸術是非の論にわく 本社
1月 有島武郎「宣言一つ」(改造)がでて広津和郎、堺利彦、片上伸、河上肇、加藤一夫、本間久雄、青野季吉らの批判を呼ぶ 一般
1月 「コドモノクー」創刊。4.-「金の鳥」創刊。「金の船」(T.8.10創刊)は6.-「金の星」と改称、再出発。童話では未明、三重吉、浜田広介、有島武郎、童謡では雨情、白秋、八十、葛原しげるなどの創作活発 マスコミ
3月2日 5面トップで「有島武郎全財産を放棄」を報道。3.13「月曜附録」で武者小路実篤、中島雄三が、ついで3.18、19の文芸欄で秋田雨雀が、有島の意図を壮とし、その問題点を追う 本社
5月27日 青野季吉「知識人の現実批判」(~5.31、4回)がでる。これは有島武郎「宣言一つ」をめぐる論争の一環をなす 本社
大正12年(1923) 6月9日 有島武郎心中自殺(M.11生まれ、45歳) 一般
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