(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

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月日 事項 年表種別
昭和15年(1940) 8月13日 「九州日報」を買収、取締役兼営業局長に小林光政、取締役編集局長に平野善之助。9.1から経営発行 本社
昭和16年(1941) 1月1日 「長崎日日新聞」を合併、相談役に正力社長、社長は九州日報社長小林光政が兼務 本社
8月6日 「報知新聞」社(社長三木武吉)に出資、同社取締役会長に正力社長、同取締役副社長に小林光政(九州日報社社長)、同取締役営業局長に務台光雄(本社営業局次長)それぞれ就任 本社
8月6日 編集局長に宮崎光男(企画局長)、企画局長に中満義親(編集局次長兼社会部長)、記事審査委員長に柴田勝衛(編集局長)。また小林光政、竹中治は顧問に 本社
昭和17年(1942) 9月29日 本社新役員を選出、代表取締役社長正力松太郎、取締役副社長高橋雄豺、専務取締役総務局長小林光政、常務取締役業務局長稲葉輪一、取締役厚生局長竹中治、取締役主幹宮崎光男、取締役企画局長務台光雄、編集局長に中満義親、新設の出版部長に松井政平。 本社
10月15日 「ビルマ新聞」創刊のため小林光政専務、務台光雄取締役の一行、ラングーンに到着、準備に入る 本社
昭和18年(1943) 1月30日 調査局を新設、局長は総務局長小林光政が兼務 本社
7月27日 専務取締役小林光政は大政翼賛会総務局長に、編集局顧問武藤貞一は翼壮報道局長に就任のためそれぞれ退任、総務局長は業務局長稲葉輪一が兼務 本社
昭和20年(1945) 8月20日 社員総会開かれ役員を改選、社長正力松太郎、副社長高橋雄豺、常務取締役稲葉輪一(9.2に至り戦災死を確認)取締役宮崎光男各重任、取締役務台光雄、常務取締役に、顧問小林光政、専務取締役に、編集局長中満義親、取締役に各選任 本社
8月20日 戦災復興本部を設け、本部長に小林光政 本社
昭和37年(1962) 7月9日 本社社友、元専務取締役小林光政死去 本社
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