(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"梅津八重蔵"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) 4月17日 「セラム新聞」発行のため梅津八重蔵ら21人、アンボンに向け出発 本社
昭和19年(1944) 4月1日 本社経営の「セラム新聞」(邦字紙)アンボンで創刊、社長は梅津八重蔵 本社
昭和25年(1950) 4月24日 提携紙「信陽新聞」社長に梅津八重蔵、副社長に大江原矯出向 本社
昭和37年(1962) 9月10日 北陸支社長総務局長山岡重孝の兼務を解き、梅津八重蔵に交代。9.29就任 本社
昭和38年(1963) 6月25日 論説委員会委員高木健夫、北海道支社長桜井正美、北陸支社長梅津八重蔵、役員待遇となる 本社
昭和42年(1967) 7月14日 総務局総務佐々木芳雄、総務局長に。北陸支社長梅津八重蔵、役員室勤務となり、後任に編集局総務森田善十。編集局次長鷲見重蔵、為郷恒淳、編集局総務に。経済部長田中宏、編集局次長となる 本社
11月10日 役員待遇、役員室勤務梅津八重蔵、定年退職 本社
昭和45年(1970) 8月3日 社友、元役員待遇梅津八重蔵死去、63歳 本社
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