(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"梅謙次郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治25年(1892) 7月4日 中井喜太郎を朝鮮に特派(編集長は一時匹田鋭吉が代行)。梅謙次郎(法博)を憲法その他法律問題の論文寄稿家に委嘱 本社
明治34年(1901) 5月19日 「言文一致に対する意見」連載(~8.9、梅謙次郎・加藤弘之・新渡戸稲造・白鳥庫吉・前島密・井上豊太郎・後藤牧太・井上哲次郎・菊池大麓・岡部精一・エルンスト・エドワーズ) 本社
明治43年(1910) 3月20日 高柳豊三郎、第3代社長に就任。足立荒人は副社長、笹川潔は主筆になる。編集評議員に富井政章・高田早苗・梅謙次郎、教育顧問に沢柳政太郎、家庭顧問に巌谷小波を委嘱。大隈重信ら67人を賛助員として社告 本社
8月25日 評議員梅謙次郎、京城で死去 本社
明治44年(1911) 8月25日 本社評議員梅謙次郎1周忌に当たり5面で追悼特集 本社
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