(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

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月日 事項 年表種別
昭和24年(1949) 2月18日 労務厚生本部長に渡辺文太郎 本社
昭和26年(1951) 2月23日 取締役審議室長岡野敏成、労務厚生本部長兼務、労務厚生本部長渡辺文太郎は新設の新聞監査局長となる 本社
昭和27年(1952) 10月20日 取締役企画調査局長栗山利男、大阪読売新聞社常務取締役編集局長に、後任は新聞監査局長渡辺文太郎、編集局次長和田副治、新聞監査局長となる。編集局に連絡部(部長景山与志雄)を新設 本社
昭和28年(1953) 11月1日 本社機構改革、総務局に営業局を合併して業務局、企画調査局を廃止して事業本部とする。4局1本部を新設、新聞監査局を廃止して新聞監査委員会を新設、労務厚生本部を廃止、新聞監査委員長に主幹安田庄司(兼務)、業務局長に営業局長山岡重孝、事業本部長に企画調査局長渡辺文太郎、業務局総務に総務局長郡司宗秋(局長待遇)、出版局総務に新聞監査局長和田副治(局長待遇)、審議室次長労務担当役員補佐に労務厚生本部長橘英雄 本社
昭和29年(1954) 12月18日 取締役清水与七郎、監査役橋本道淳辞任、橋本道淳、事業本部長に、事業本部長渡辺文太郎、巨人軍球団代表に就任 本社
昭和40年(1965) 5月25日 北海道支社長棚橋一尚、報知印刷所社長へ。後任に編集局総務渡辺文太郎 本社
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