(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"町田源太郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治38年(1905) 1月1日 旅順陥落で号外発行。新年号12ページ。社中の文士交代執筆の随想欄「八面観」開始(執筆記者は上司小剣・正宗白鳥・町田源太郎、田能村梅士・池田常太郎・坂口二郎、児玉佐一郎) 本社
明治39年(1906) 8月 社員町田源太郎(柳塘)を清国に特派(政治経済・民情・風俗紹介のため) 本社
明治41年(1908) 2月1日 楓村居士(町田源太郎)「親と子」(~4.29、65回) 本社
5月1日 町田源太郎「継子」(~8.30、100回) 本社
大正3年(1914) 3月21日 「婦人附録」編集顧問・羽仁吉一、同主任・小橋三四子、与謝野晶子、田村俊子ら4人、文芸欄執筆のため徳田秋声、上司小剣、松本雲舟、正宗白鳥、佐藤紅緑ら5人、客員として小宮豊隆、、阿部次郎、安倍能成、森田草平ら4人、運動欄・学生欄充実のため吉岡信敬、さらに中村雅治、沢村晴夫、町田源太郎、大井包高、沢田撫松の計19人の入社を発表(社告) 本社
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