(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

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月日 事項 年表種別
明治42年(1909) 3月15日 秋田雨雀「新しい女」(随想) 本社
明治44年(1911) 4月26日 1作家1か月の中編小説連続掲載とその作家名を社告。作家は島村苳三・中村星湖・鈴木三重吉・吉井勇・相馬御風・野上臼川・青木健作。 5.25小山内薫を追加、7.3小川未明・水野葉舟・秋田雨雀を追加発表 本社
明治45年(1912) 3月20日 秋田雨雀「鳩」(戯曲、~4.23、35回) 本社
大正4年(1915) 3月5日 芸術座(島村抱月)と近代劇協会(上山草人)との間の「復活」著作興行権問題に対し、中村吉蔵、昇曙夢、秋田雨雀、佐藤紅緑及び当事者たちの発言を連続とりあげ、著作権問題を追求する 本社
大正11年(1922) 2月24日 論説「サンガー夫人の旅券査証、当局者の誤解」を掲げ、3.3長谷川如是閑、3.4鹿子木員信、3.5、3.7の2回は秋田雨雀が文芸欄で、上陸禁止問題をとりあげる。同じく文芸欄でサンガー夫人の講演連載(~3.17、4回) 本社
3月2日 5面トップで「有島武郎全財産を放棄」を報道。3.13「月曜附録」で武者小路実篤、中島雄三が、ついで3.18、19の文芸欄で秋田雨雀が、有島の意図を壮とし、その問題点を追う 本社
大正14年(1925) 5月2日 秋田雨雀、演芸欄顧問に。毎週土曜日紙面に演劇時評を執筆 本社
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