(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"菊池寛"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正9年(1920) 3月8日 文芸欄に里見弴「菊池君の“芸術と天分”を読む」がでる。これは菊池寛「芸術と天分―作家凡庸論」(「文章世界」3月号)に答えたもの 本社
6月9日 菊池寛〈真珠夫人〉(大阪毎日、東京日日 ~12月22日)これから通俗小説流行しはじめる 一般
大正11年(1922) 1月28日 宮島資夫「第四階級の文学」(~2.2、5回)これは大正9年9月文章世界の「第四階級の文学」中野秀人、を発端とする「階級芸術論争」の一環をなすもので、この論争には平林初之輔、有島武郎、広津和郎、菊池寛、久米正雄、芥川竜之介などが参加。9、10、11年へかけて階級芸術是非の論にわく 本社
大正12年(1923) 1月1日 菊池寛「文芸春秋」創刊。(文芸春秋社、芥川竜之介、久米正雄ら応援、大正15年総合雑誌となる。創刊号28ページ、10銭) マスコミ
昭和2年(1927) 1月17日 将棋の名人・東西八段争覇戦開始(名人関根金次郎優勝。馬場孤蝶・菊池寛観戦記執筆) 本社
5月 アルス「日本児童文庫」と文芸春秋社「小学生全集」との広告合戦。北原白秋・菊池寛の論戦もあり話題に マスコミ
昭和28年(1953) 3月10日 日本文学振興会の第1回菊池寛賞「新聞部門」に社会部が選ばれる。“迫害や脅迫と戦いながら報道した社会暗黒面の摘発活動”について 本社
昭和43年(1968) 11月18日 「昭和史の天皇」第16回菊池寛賞を受賞 本社
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