(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"長谷川如是閑"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
大正9年(1920) 11月10日 「ラッセルの社会思想と支那」(長谷川如是閑)(~11.16、7回) 本社
大正10年(1921) 4月29日 文芸欄に「性慾文学勃興の徴、これ果して昭代の慶事か」岡田三郎(~5.2、3回)が掲載される。これに続いて、5.15長谷川如是閑、6.5紀平正美が「日曜附録」で性問題を論じ、6.8、6.9文芸欄で本間久雄が言及 本社
大正11年(1922) 2月24日 論説「サンガー夫人の旅券査証、当局者の誤解」を掲げ、3.3長谷川如是閑、3.4鹿子木員信、3.5、3.7の2回は秋田雨雀が文芸欄で、上陸禁止問題をとりあげる。同じく文芸欄でサンガー夫人の講演連載(~3.17、4回) 本社
昭和44年(1969) 11月11日 長谷川如是閑死去、93歳 マスコミ
PAGE TOP