"馬場恒吾"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和7年(1932) | 7月27日 | 馬場恒吾「日本よ何処へ行く」2面に連載 | 本社 |
10月30日 | 夕刊に「日曜時評」欄新設。筆者は馬場恒吾 | 本社 | |
昭和15年(1940) | 9月29日 | 馬場恒吾の「日曜評論」執筆中断 | 本社 |
昭和20年(1945) | 12月12日 | 正力、巣鴨に入所し、馬場恒吾、8代目社長に | 本社 |
昭和21年(1946) | 1月26日 | 国語民主化委員会(馬場恒吾会長)を設け、自主的に漢字制限を検討 | 本社 |
7月25日 | マ元帥、馬場恒吾(読売)長谷部忠(朝日)永戸政治(毎日)伊藤正徳(共同)ら新聞界代表を招き会談 | マスコミ | |
12月2日 | 用紙対策委員会(馬場恒吾委員長)を設ける | 本社 | |
昭和24年(1949) | 9月14日 | 初代新聞協会会長に馬場恒吾(読売社長)就任 | マスコミ |
昭和26年(1951) | 1月9日 | 代表取締役社長馬場恒吾、常務取締役営業局長武藤三徳、取締役出版局長四方田義茂の三氏辞任、取締役副社長兼編集主幹安田庄司、代表取締役となり、出版局長を兼務、取締役務台光雄、常務取締役営業局長に、馬場恒吾顧問に、四方田義茂客員となる | 本社 |
9月27日 | 前社長馬場恒吾、新聞協会第1回新聞文化賞を受賞 | 本社 | |
昭和31年(1956) | 4月5日 | 前社長馬場恒吾死去、80歳 | 本社 |
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