(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"高木健夫"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和10年(1935) 8月20日 高木健夫「高梁の秋 匪賊物語」社会面に連載 本社
8月 新京支局新設。支局長高木健夫 本社
11月21日 高木健夫「討匪従軍行」社会面に連載 本社
昭和13年(1938) 5月4日 高木健夫東亜部次長ら3人を北支へ特派、引き続き徐州戦線へ3人増派 本社
昭和23年(1948) 7月27日 外報部を欧米部(小林雄一部長)と東亜部(高木健夫部長)に分離 本社
昭和24年(1949) 9月12日 編集局次長兼東亜部長兼整理部長兼論説委員高木健夫、兼務を削り、「編集手帖」担当兼東亜部長になる 本社
昭和38年(1963) 6月25日 論説委員会委員高木健夫、北海道支社長桜井正美、北陸支社長梅津八重蔵、役員待遇となる 本社
昭和47年(1972) 1月1日 金日成北朝鮮首相、高木健夫、佃有本社記者と単独会見。同首相の南北朝鮮平和協定の新提案を1.11、会見詳報を1.14朝刊に発表 本社
昭和50年(1975) 3月14日 49年度芸術選奨文部大臣賞に読売新聞社社友高木健夫が選ばれる。「新聞小説史・明治篇」が評価されたもの マスコミ
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