大阪商工会議所『大阪商工会議所八十五年史』(1965.07)

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月日 事項 年表種別
明治25年(1892) 5月 第四回内国勧業博覧会を大阪に開設の意見書を提出。
明治26年(1893) 5月 農商務省は米国シカゴ・コロンビア世界博覧会附属万国会議に、本邦労働状態に関する報告提出者指名の任を命じ来り、本会議所自ら被指名者となる。
明治28年(1895) 8月 第五回内国勧業博覧会開設準備のため京都における第四回博覧会を調査。
明治31年(1898) 12月 「第五回内国勧業博覧会開設」「地租増徴及外債募集に関する意見開申書並びに請願書」を建議。「日本銀行保証準備兌換券発行額制限の拡張に関する意見書並びに請願書」を提出。
明治32年(1899) 3月 第一三回帝国議会は第五回内国勧業博覧会開設(大阪)建議案を可決。
5月 土居会頭、浜田書記長、パリ万国博覧会および欧米諸国の商工業視察のため渡欧。今西運輸部長は大阪出品同盟会派遣員として同時に出発。
明治37年(1904) 5月 臨時商業会議所連合会に「戦時及び戦後の経営に関する事項」「戦後特定の時期に我国に万国博覧会を開設の建議」「満洲各地に我が商工業者の移住奨励」「清国富源開拓の目的を以て清国各重要地に支店営業開始を商工業者に勧誘」「商工学校の卒業生を清国各地に巡遣適業に従事せしむ」の四件を提出。
明治38年(1905) 12月 「戦後に於ける万国博覧会開設準備のため官民合同委員会設置」を請願。
大正7年(1918) 4月 大阪化学工業博覧会を主催開設。
大正15年(1926) 7月 日本大博覧会本会議所委員会を開催。
10月15日 国産振興汽車博覧会第二班は一五日当地出発、二八日帰阪。
昭和12年(1937) 7月 「為替管理の運用改善に関する意見」「産業組合の新情勢と之が対策資料に関し意見」「博覧会統制に関する意見」「英領印度本邦輸入防遏対策に関する意見」を日本商工会議所に答申。
昭和22年(1947) 4月 商工博覧会見本市等に関する懇談会、石井商工大臣懇談会、高瀬経済安定本部長官懇談会を開催。
昭和23年(1948) 4月 貿易振興博覧会を天王寺公園に開く。
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