※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 世界恐慌始まる、緊縮政策 | 社会一般 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 金輸出解禁実施、ロンドン軍縮会議 | 社会一般 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 満州事変勃発、金輸出再禁止 | 社会一般 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 尾小屋、大金、日光、高越、三川各鉱山開始 | 当社の沿革 | |
- | 上海事変、満州国成立、五・一五事件 | 社会一般 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 瓮津、楽山、満沢、笹ヶ谷各鉱山、雄物川油業所開始、株式上場、金瓜石鉱山(株)買収 | 当社の沿革 | |
- | 国際連盟脱退 | 社会一般 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 発銀、赤石、大盛各鉱山開始 | 当社の沿革 | |
- | ワシントン条約破棄を通告 | 社会一般 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 雄物川油田大噴油、日産汽船(株)買収 | 当社の沿革 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日南鉄鉱(株)設立、遠北、慈母城、河山、上北各鉱山開始 | 当社の沿革 | |
- | 二・二六事件、軍縮会議脱退を通告 | 社会一般 | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 本社移転(東京芝区田村町へ)台湾鉱業(株)吸収合併、王ノ山、遂安、大楡洞、検徳各鉱山開始 | 当社の沿革 | |
- | 日華事変勃発、産金法施行 | 社会一般 | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪支社支店登記 | 当社の沿革 | |
- | 国家総動員法、重要鉱物増産法公布 | 社会一般 | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 新宮、箕州、雲山各鉱山、船川製油所開始、会社職制大改正 | 当社の沿革 | |
- | 第二次世界大戦勃発 | 社会一般 | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 木戸ヶ沢鉱山、大台炭礦開始、日立接触硫酸工場竣工 | 当社の沿革 | |
- | 会社経理統制令等施行 | 社会一般 |