※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 景気沈滞、財界救済運動激化 | 一般・業界 | |
- | [和織]:北支方面に綿糸を本格的に輸出、当社「日烏」の商標市場を風靡す | 当社関係 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 三品取引所、綿糸標準格付売買実施 | 一般・業界 | |
4月3日 | 和織:手平工場、開業式を挙行 | ||
10月26日 | 伊藤博文暗殺さる | 一般・業界 | |
11月2日 | [和織]:ロンドン日英博覧会へ綿布6種の出品を許可さる | 当社関係 | |
- | 米、恐慌から回復 | 一般・業界 | |
- | 綿布の輸出額、輪入額を凌駕 | 一般・業界 | |
- | 日本綿糸布、満州市場から英米品を駆逐 | 一般・業界 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月19日 | 和織:35万円を限度とする第2回社債の募集または資金の借入を決議 | 当社関係 | |
1月31日 | 紡績聯合会、工場法案に対して深夜業廃止反対を決議 | 一般・業界 | |
4月15日 | 改正関税定率法公布、44年7月施行(関税自主権確立) | 一般・業界 | |
6月 | 大逆事件起こる | 一般・業界 | |
8月22日 | 韓国併合条約調印 | 一般・業界 | |
10月1日 | 第6次操業短縮実施(大正元年9月まで) | 一般・業界 | |
10月14日 | [和織]:当社重役と和歌山紡績重役間において買収合併の仮契約を締結 | 当社関係 | |
10月 | 東京に商人の倒産続出 | 一般・業界 | |
12月28日 | [和織]:次の条項に基づき和歌山紡績の買収合併を決議//1 和歌山紡績は当社に合併の目的をもって、明治43年12月31日現在の財産全部および権利一切を60万円にて当社へ譲渡する//2 当社は和歌山紡績の債権債務を継承し、60万円に対し、1株額面25円払込済の当社株式2万4,000株を和歌山紡績に交付する//3 当社は和歌山紡績を買収合併の上、和歌山紡織と改称する//4 明治44年1月および2月の紡績会社の営業を当社に嘱託する | 当社関係 | |
- | 綿糸紡績錘数200万錘を突破 | 一般・業界 | |
- | はじめてインドに綿糸を輸出 | 一般・業界 |