ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

"三村和義"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正3年(1914) 9月 (尼崎紡績) 社員三村和義を印度に派遣。 ニチボー関係
昭和8年(1933) 7月11日 (大日本紡績) 日印会商民間首席代表兼政府顧問に常務取締役倉田敬三(副主席に伊藤忠商事社長伊藤忠兵衛)、日英会商民間代表に取締役三村和義ら決定。 ニチボー関係
12月15日 (大日本紡績) 日英会商代表として参加の取締役三村和義らは和蘭の首都ヘーグに赴き日蘭会商開催の準備交渉を行なう。 ニチボー関係
昭和18年(1943) 12月23日 (大日本紡績) 副社長に三村和義、専務取締役に松田元・寺田栄吉就任し、全面的機構改革を決定。 ニチボー関係
昭和21年(1946) 8月8日 日本繊維協会閉鎖機関となる(会長三村和義)。 業界ならびに内外情勢
9月17日 (大日本紡績) 社長に三村和義、前社長小寺源吾は会長となる。 ニチボー関係
昭和22年(1947) 6月26日 (大日本紡績) 社長三村和義辞任。 ニチボー関係
昭和25年(1950) 10月13日 (大日本紡績) 小寺源吾・三村和義ら元役員の追放解除。 ニチボー関係
11月22日 (大日本紡績) 前会長小寺源吾・前社長三村和義を相談役に推す。 ニチボー関係
昭和27年(1952) 4月1日 (大日本紡績) 元社長・相談役三村和義没。 ニチボー関係
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