ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

"倉田敬三"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正元年(1912) 10月 (尼崎紡績) 社員倉田敬三は印度市場開拓に派遣される。 ニチボー関係
大正2年(1913) 12月 ([尼崎紡績]) 社員倉田敬三を再度印度に派遣。 ニチボー関係
大正8年(1919) 4月 (大日本紡績) 社長菊池恭三は大垣工場長今村奇男・販売課長倉田敬三を帯同して中国に赴き工場建設候補地を検分。 ニチボー関係
昭和6年(1931) 12月11日 (大日本紡績) 常務取締役制を採用、松村諦成・小寺源吾・今村奇男・倉田敬三・田代重三の5取締役互選される。 ニチボー関係
昭和8年(1933) 7月11日 (大日本紡績) 日印会商民間首席代表兼政府顧問に常務取締役倉田敬三(副主席に伊藤忠商事社長伊藤忠兵衛)、日英会商民間代表に取締役三村和義ら決定。 ニチボー関係
昭和13年(1938) 3月5日 (大日本紡績) 常務取締役倉田敬三は北支棉花会社の社長を兼ねる。 ニチボー関係
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