ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

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月日 事項 年表種別
昭和9年(1934) 6月8日 日蘭会商バタビアに開催、大日本紡績綿布主任原吉平ら紡聯より派遣される。 業界ならびに内外情勢
昭和10年(1935) 10月22日 日埃会商カイロで開始、大日本紡績綿布主任原吉平ら紡聯より派遣される。 業界ならびに内外情勢
昭和22年(1947) 5月15日 (大日本紡績) 主要役員相次ぎパージのため辞任のやむなきに至り武田彰・小幡庄治・原吉平・勝田操を常務取締役、古井育吉を常任監査役に互選。機構改革。 ニチボー関係
昭和24年(1949) 4月21日 (大日本紡績) 第7代社長原吉平就任。機構改革。 ニチボー関係
昭和26年(1951) 11月19日 (大日本紡績) 天皇陛下高田工場お成り。社長原吉平ご案内。 ニチボー関係
昭和27年(1952) 9月12日 (大日本紡績) 社長原吉平は英国バクストンの国際綿業会談に日本代表として参加。(~10.16) ニチボー関係
昭和31年(1956) 8月13日 (大日本紡績) 社長原吉平、訪比経済使節団員としてマニラに赴く(5月9日、日比賠償協定調印される)。 ニチボー関係
昭和32年(1957) 4月9日 (大日本紡績) 天皇皇后両陛下、大垣化学工場お成り。社長原吉平ご案内。 ニチボー関係
9月12日 (大日本紡績) 社長原吉平は国際綿連会議に出席のためベネチェア(ベニス)に赴き、途次ビルマを、帰途ブラジルを訪う。 ニチボー関係
昭和34年(1959) 4月23日 (大日本紡績) 社長原吉平、紡協委員長に選出。 ニチボー関係
9月21日 (大日本紡績) 社長原吉平、ウイーンの国際綿連年次総会に出席。(~10.4) ニチボー関係
11月16日 (大日本紡績) 社長原吉平、藍綬褒章を受ける。 ニチボー関係
昭和36年(1961) 7月14日 (大日本紡績) 社長原吉平、ジュネーブの綿製品貿易会議(ガット主催)に政府代表の諮問にこたえるため紡協委員長として出発、同会議では、その反対にかゝわらず輸入国中心主義の1962年に関する綿製品国際貿易についての短期協定作成される。 ニチボー関係
9月19日 (大日本紡績) 社長原吉平・常務取締役嶋津孝次は香港の宝冠紡織廠開所式に出発(原社長は24日帰国、嶋津常務取締役は豪州・ニュージーランドを訪問して10月8日帰国)。 ニチボー関係
昭和38年(1963) 1月31日 紡協委員長原吉平、日米綿製品交渉の問題で米国大使ライシャワーに抗議。 業界ならびに内外情勢
4月22日 (大日本紡績) 社長原吉平は紡協委員長を辞任(34年4月23日より4年4期にわたる)して顧問となる。 ニチボー関係
8月19日 (大日本紡績) 社長原吉平は江商専務取締役神原武雄とジャカルタを訪いインドネシア政府と米綿委託加工問題で折衝。(~27) ニチボー関係
昭和39年(1964) 11月19日 (ニチボー) 社長原吉平中共を訪うため出発。貝塚工場バレーボールチーム中共との交歓試合に参加のため同行。 ニチボー関係
12月7日 (ニチボー) 社長原吉平、周恩来中共首相らと会談の後、北京・上海・西安・鄭州・杭州・広州を視察して帰国。 ニチボー関係
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