ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

"有賀松彦"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治39年(1906) 11月 (尼崎紡績) 工務部長広瀬茂一は英・米に赴き尼崎本社工場主任有賀松彦は工務部長代理となる。 ニチボー関係
明治41年(1908) 5月30日 (尼崎紡績) はじめて工場長制を採用し工務部長代理有賀松彦を尼崎工場長、津守工場主任牧野嘉十郎を津守工場長に任命。 ニチボー関係
大正3年(1914) 8月1日 (尼崎紡績 東京紡績) 尼崎紡績は東京紡績(会長柿沼谷蔵)を合併して資本金6,440,00[0?]円となる(9月5日登記)。東京出張所を旧東京紡績深川本社工場におき主任に有賀松彦を任命。 ニチボー関係
大正8年(1919) 10月29日 米国ワシントンに第1回国際労働会議開催、日本資本家代表に鐘淵紡績専務取締役武藤山治。紡聯は大日本紡績取締役有賀松彦らを派遣した。8時間労働制・失業予防と母性保護等を可決し11月29日終る。 業界ならびに内外情勢
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