ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

"菊池恭三"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治20年(1887) 8月2日 (平野紡績) 菊池恭三は平野紡績に入社。 ニチボー関係
10月12日 (平野紡績) 平野紡績は技師菊池恭三に紡機購入と技術研究のため渡英を命じた。 ニチボー関係
明治22年(1889) 6月26日 (尼崎紡績) 尼崎紡績は平野紡績は技菊池恭三の傭聘を発起人会できめる。 ニチボー関係
9月6日 (尼崎紡績 平野紡績) 尼崎・平野の両紡績会社で菊池恭三傭聘契約書を交換。 ニチボー関係
明治23年(1890) 5月30日 (尼崎紡績 平野紡績 聯津紡績) 尼崎・摂津・平野の3紡績会社間で菊池恭三の傭聘契約書を交換。 ニチボー関係
7月6日 (尼崎紡績) 川田斎助は商務支配人、菊池恭三は工務支配人兼技師となる。 ニチボー関係
明治24年(1891) 1月 (摂津紡績) 菊池恭三工務支配人となる。 ニチボー関係
明治25年(1892) 1月 (尼崎紡績) 商務支配人川田斎助退社に伴い工務・商務支配人制を廃し菊池恭三は支配人兼技師となる。 ニチボー関係
明治29年(1896) 3月26日 (尼崎紡績) 取締役兼技師長菊池恭三渡英。 ニチボー関係
6月1日 (尼崎紡績) 取締役兼技師長菊池恭三はプラット・ブラザーズ会社に尼崎本社第3工場の機械を発注。 ニチボー関係
9月28日 (尼崎紡績) 取締役兼技師長菊池恭三帰国。 ニチボー関係
明治30年(1897) 1月9日 (摂津紡績) 菊池恭三取締役に選任される ニチボー関係
明治33年(1900) 11月19日 紡聯は委員長に大阪紡績(山辺丈夫)副委員長に摂津紡績(菊池恭三)を選挙。 業界ならびに内外情勢
明治34年(1901) 5月27日 (尼崎紡績) 社長福本元之助は生家経営の逸身銀行破綻につき処理にあたるため辞任し4代社長に菊池恭三就任。 ニチボー関係
明治39年(1906) 10月25日 (東洋紡織) 東洋紡織創立、資本金2,000,000円、社長に菊池恭三。 ニチボー関係
明治44年(1911) 6月26日 (尼崎紡績) 社長菊池恭三夫妻は技手逢坂佐七と共にシベリア経由欧米に向う。 ニチボー関係
11月10日 (尼崎紡績) 社長菊池恭三は米国経由帰国。 ニチボー関係
大正4年(1915) 2月 (尼崎紡績) 社長菊池恭三工学博士となる。 ニチボー関係
6月5日 (摂津紡績) 4代社長に菊池恭三就任。 ニチボー関係
大正5年(1916) 4月22日 (摂津紡績) 社長菊池恭三紡聯委員長となる(同14年5月15日まで大日本紡績社長として委員長在任)。 ニチボー関係
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