(株)資生堂『資生堂宣伝史. 2』(1979.07)

"乙部孝"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正13年(1924) 12月 「資生堂化粧品型録」制作―被災により東京の技術低下のため、大阪で製版印刷。表紙デザイン・乙部孝 資生堂宣伝史
昭和10年(1935) - ●店内標識看板―壁面に取付ける形のものを、ステンドグラスを使ったつり下げ形式に改める。デザイン・乙部孝 資生堂宣伝史
昭和12年(1937) - ●店舗設計サービス―大阪駐在・乙部孝および東京販売会社・森昇(昭和13年意匠部へ転部)が、これまで携っていたが、意匠部の正規業務となったのは、この年から。担当の中谷善三郎は、そのため日本大学建築科(夜間)へ社命により1年間通学した 資生堂宣伝史
昭和18年(1943) - 石井華一、田中武雄、小谷鉄雄退社(3月)。平井康雄、中谷善三郎徴用退社(10月)。坪井鶴吉徴用(12月、翌年召集) 井上冬之助、山名文夫、岩本守彦、若見四郎、乙部孝退社(12月) 資生堂宣伝史
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