(株)資生堂『資生堂宣伝史. 2』(1979.07)

"前田貢"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
1926年 - ▼勝山重典(意匠)、諏訪兼紀(意匠)、前田貢(意匠)入部。井深徴(写真)、三宅一朗(意匠客員)加わる 資生堂宣伝史
昭和2年(1927) 12月 「御婦人手帳」発行―小さな百科辞典というような女性の常識、趣味となる記事を集め、それに挿絵を配したもの 四六半截判233ページ、50銭で配布。編集代表・高木長葉、編集担任・河東汀 挿絵担任・沢令花、前田貢、諏訪兼紀とある 資生堂宣伝史
12月 昭和3年1月号「資生堂月報の題字にみられる「資生堂」の書体をもって、和文ロゴタイプがほぼ確立。デザイン・前田貢 資生堂宣伝史
- ●ポスター図案―個々のチェインストアでの利用に供するため、「チェインストアー」表4に載せた デザイン・沢令花(昭和4年2月号まで)・前田貢(昭和4年3月以降) 資生堂宣伝史
- ●商品(「ボブリン」)のレーベルにはじめて女性のイラストレーション登場―デザイン・前田貢 資生堂宣伝史
昭和3年(1928) 5月 欧文ロゴタイプの確立―落成した資生堂化粧品部および資生堂パーラーの正面外壁に取付けた社名「SHISEIDO」の表示により、欧文ロゴタイプもこのころ確立したとみることができる。前田貢が書き、高木長葉が決定した 資生堂宣伝史
- ●「赤箱」生まれる―「コールドクリーム」に新たに一個箱を作る。赤い地に椿をアレンジした唐草文様を配した 以後「赤箱クリーム」の愛称を得る デザイン・前田貢 資生堂宣伝史
昭和7年(1932) 12月 「ドルックス化粧品」発売―銀と墨の配色で表現した上品なカリグラフは、企業像を高めた。デザイン・前田貢 資生堂宣伝史
12月 「青島化粧品」発売―断髪の女性像とリボンをシンボルパターンとした。デザイン・前田貢 資生堂宣伝史
- ●小型パンフレット「粧ひ」制作―イラストレーション全盛のなかにあって、写真によるモンタージュ構成を駆使している//撮影・井深徴、デザイン・前田貢、山名文夫 資生堂宣伝史
昭和8年(1933) - ●第2期の資生堂表現の確立―高木部長の下で前田貢がチーフデザイナー格であり、新人も入部して、ロゴタイプの完成、唐草やカリグラフの定着など、宣伝活動も活発であった。大正11年前後を第1期、昭和15年前後を第3期の確立期とする 資生堂宣伝史
昭和9年(1934) 4月 ミス・シセイドウ宣伝活動開始―全国主要都市(台湾・樺太まで)のデパートや公会堂で、「近代美容劇」と名づけて、1日の経過を4~5景にまとめ、その中で肌の手入れやメイクアップを実演した。舞台装置、衣裳・前田貢ほか 資生堂宣伝史
12月 ●「ホルモリン」発売―大竹陶園製の白磁に、金または銀のカリグラフをほどこした繊細なデザイン。デザイン・前田貢 資生堂宣伝史
昭和10年(1935) 7月 ▼黒田鵬心(編集 非常勤嘱託 7月)、平井康雄(写真 12月)入部。杉森義郎(3月)、高本長葉意匠部長・前田貢退社(12月) 資生堂宣伝史
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